【その3】

歌追い人――Songcachers


 アメリカのフォークソングのルーツを辿っていくと、「アパラチア山脈」というキーワードに突き当たる。

 アパラチア山脈は、北アメリカ大陸の東部を、北東から南西にかけて続く、全 長約2600Kmの山脈。標高は1000m~2000mほどだが、地図を見るとすぐにわかるように、東海岸から西部に向かう道を屏 風のように遮る、移民たちの西部開拓史においては天然の要害となる存在だった。1976年のアメリカ建国時の東部13州は、ほぼ西側をアパラチア山脈が阻 んでいる。

 John Denverの名曲”Country Road”の歌詞に出てくる「ほとんど天国…Almost Heaven」と形容詞のつけられた”Blue Ridge Mountains”、”Shenandoah River”も、アパラチア山脈のあたりにある。

 アメリカ大陸への移民は、1620年のメイフラワー号から始まるが、初期の移民=入植者たちは、東海岸の平坦で肥沃な土地を開墾し、町をつくり、畑や牧 場をつくって定住し始めた。しかし、後から来た移民は、アメリカ大陸に来たものの、東海岸には既に土地はなく、西へ、西へと定住の地を求めて旅することを 余儀なくされた。これがいわゆる西部開拓史だ。

 このときに彼らの西進を阻んだのがアパラチア山脈なのだ。年若く、体力のある人々はやっとの思いで連なる山塊を越えることができたが、子どもや老人連 れ、女連れの人たちは、西進を断念し、アパラチア山脈の中に住むことになった。土地は貧しく、急斜面を開墾するという苦難を強いられたようである。

 その後、1832年にはエリー運河が完成し、ハドソン川から五大湖までの水路を確保したことで、山越えすることなく、船で西部に向かうことが出来るよう になる。(エリー運河に関わる歌として、そのものズバリの"The Erie Canal”がある。この歌はThe Weavers, The Gateway Singers、Burl Ivesなど、初期のモダン・フォークソングの旗手たちによって歌われ、映画『西部開拓史』でも使われていた。)

 その結果、アパラチア山脈の中には、「陸の孤島」のように取り残された形で移民当初からの文化が保存されることになった。アイルランド、スコットランド のオリジナルに近い形のフォークソングの原型が口伝えで残っていたのである。


  この取り残され、埋もれた音楽を、掘り出したのが、「Songcatcher」と呼ばれる、音楽収集家である。文字どおり「音楽を収集する人たち」であ る。彼らの仕事が良くわかるのが、2003年に日本で公開された『Songcatcher~歌追い人~』という映画だ。あまり宣伝もせず、上映映画館も少 なかったのは残念だったが、フォークソング好きの仲間では大きな話題となった。僕は、六本木ヒルズのシネコンで観たが、朝早くからの1日1回の上演だっ た。観客は10名程度の寂しいもの。

 しかし、映画はとてもおもしろかった。

 「1907年、アメリカ。ニューヨークの大学で教鞭を執る音楽学者リリーは、男尊女卑の壁の前にその希望を絶たれ絶望していた。ある日、彼女は入植地で 教師をしている妹のもとに向かうことを思い立ち、ノースカロライナ州の山岳地帯アパラチアへと旅立つ。やがて辿り着いた先で歓迎の歌に驚嘆する。それは、 学会で既に失われた歌とされている200年以上前のスコッツ・アイリッシュ移民の伝統歌だった……」(映画公開時の紹介文をアレンジ)。

 主人公が驚く、伝統歌とは、古いスコットランド民謡の『バーバラ・アレン(Barbara Allen)』というラブ・バラード。現在ではPete SeegerやArt Garfunkelなどの多くの人に歌い継がれている名曲だ。

 この主人公・リリーのモデルといわれているのが、実在のSongcatcher、Olive Dame Campbell(1882-1954)だ。彼女は、1907年から、夫のJohnとともにアパラチアの山に入り音楽収集活動を続けた。当時はまだ蝋管と いう筒型の記憶媒体しかなく、大型のシリンダー式録音機材を担いで山々を巡り、古い音楽を収集して回った。


 このような活動をした人々の中で有名なのが、Alan Lomax(1915~2002)だ。彼は、父親のJohn A. Lomaxの仕事を受け継ぎ、古い民謡収集を仕事としたが、多くのフォークソングにクレジットされ『American ballads and folk songs』という著作も残している。

 彼は2014年初めに亡くなった「フォークソングの神様」Pete Seeger(1919~2014)とも親交が深かった。ちなみに、Peteの父親である、Charles Louis Seeger, Jr(1886~1979)もまた、Songcatcherとして多くの足跡を残した人物だ。

 アパラチア山脈の音楽で使われていた独特の弦楽器が、アパラチアン・ダルシマーだ。写真のように「8の字型」のボディーを持ち、弦の数も2~8本とさま ざまの不思議なもの。この楽器の歴史に関しては諸説あるようだが、ドイツ系の移民によって持ち込まれた、北欧にルーツを持つもののようだ。アパラチアン・ ダルシマーは、イギリス系アメリカ人の踊りや歌の伴奏として、アパラチア山脈の一地域で親しまれてきたローカルな楽器だったが、1950年代頃から、 フォーク・リバイバル(民俗音楽復興)の波に乗って広く紹介されるようになった。

 フォークソングだけでなく、カントリー・ミュージック、ブルーグラスで使用され、アメリカの音楽の特徴的な楽器であるバンジョーは、19世紀半ばごろ、 アパラチアにもたらされた。ブルーグラスのバンジョーは、Earl Scruggs(映画『俺たちに明日はない』のテーマ曲にもなったFoggy Mountain Breakdownの演奏で有名)に代表されるように、スリー・フィンガー奏法と呼ばれる「3本指」を使うスタイルだが、アパラチアでは Clawhammer(釘抜き)と呼ばれる、人差し指や中指の爪と親指を使う独特の奏法が主流となった。この奏法はOld Timerとも呼ばれ、どこか牧歌的でひなびた雰囲気を醸し出すものだ。

 僕たちが今、音楽を楽しめているのも、このようなSongcatcherたちの不屈の努力の賜なのだ。

いや~あ、フォークソングって、本当におもしろいですねぇ!……(④へ続く)