無礼講談 投稿者:清水 敏夫 投稿日:2009年12月10日(木)09時35分36秒   通報 返信・引用
「余技とはいえ」             清水 敏夫

ミュージシャンは、楽屋などで本職以外の音楽を歌ったり演奏したりすることが多い。ブルーグラス系では、チャーリー・ウォーラーのハンク・スノウ・ソングは定評があったが、トニー・ライスのベーカースフィールド曲も渋くて上手かった。フォーク系では、イアン・タイソンのカウボーイソングもゾクっとするほど魅力があり、シルヴィア・フリッカーと離婚してからはカントリーシンガーとしてソロ活動している。どちらかというと、私はシルヴィアにタミー・ワイネットばりのカントリーを歌って欲しいと思っている。

下記に書いたキングストン・トリオのボブ・シェーンもハンク・ウィリアムスの曲を歌うとメチャクチャ上手かった。声のかすれ具合もハンクそっくりなので「コンサートが続くの声がかれたのか?」と聞くと、「いや、ハンクのマネをしているのだ」と言っていた。こういう一流アーティストともなると我われ凡人には計り知れない才能を持っているようだ。ヴェンチャーズのノーキー・エドワーズは、私がカントリーファンだと知るとチェット・アトキンスばりのギターを弾いてくれた。「アラバマ・ジュビリー」がチェットそっくりの弾き方をするので絶賛すると、次はマール・トラヴィスの弾き方で同じ曲を弾いてくれた。これはもう降参するしかなかった。





無礼講談 投稿者:清水 敏夫 投稿日:2009年12月10日(木)05時53分34秒   通報 返信・引用 編集済
「京都のフォーク喫茶」            清水 敏夫

古いフォークを聴いていて、ふと京都のフォーク喫茶を思い出した。確か藤井さんといったと記憶するが猛烈なフォークファンがいて、四条木屋町で音楽喫茶を営業していた。私の知る範囲では個人コレクターとして最高で、推定2万枚ほどのLPが店内に詰め込まれてあった。音楽喫茶というよりは、レコード倉庫に客席があるといった店であった。どういう経緯で藤井さんと知り合ったのか定かでないが、たぶんFM大阪の番組にお便りをいただいたのがきっかけだと思う。とにかく凄い量のLPコレクションで、こんなにあったら何がどこにあるか分からないだろうと思ったら、「なにかリクエストしてください」と藤井さんは言った。試しにジーン・リッチのレア曲を所望すると3分後には音楽が流れていた。

折から来日公演していたキングストントリオのリーダー、ボブ・シェーンを連れて店に行くと大喜びしてくれ、店をそっちのけでフォーク談義に花を咲かせた。当時、私もアメリカン・フォークのLPにはたくさんライナーノーツを書いていたが、その知識たるや藤井さんの足元にも及ばなかった。それはもうマニアという域を超え、ちょっとコワイぐらいの研究家であった。「もし、火事でも起きて店が燃えたらどうするの?」と尋ねると、「そのときはこのレコードと心中しますよ」と笑っていた。火事にあったという話は聞かないが、藤井さんはどこに行ってしまったのだろう。どなたか消息をご存知なら教えていただきたい。もし、ご壮健ならぜひ再会したい親愛なる人である。




追想 投稿者:清水敏夫 投稿日:2010年 5月 1日(土)22時18分55秒   通報 返信・引用 編集済
「国鉄の石あたま」             清水 敏夫

アメリカのフォーク・グループ「キングストン・トリオ」にパーカッション、ベースを加え、計5人を引率して岩国から神戸に向かていた。演奏ツァー初体験もあって、私はくたくたに疲れて列車の座席で居眠りしていた。そこへ招聘プロのT君が来て私を起こした。「食堂車に来てください。メンバーが乗務員とトラブっています」という。仕方なく眠い目をこすりながら食堂車に向かった。メンバーの一人がウエイターに「バターが欲しい」と言ったが、ウエイターは「バターの単品売りはしていない」と断ったという。ライスにバターをつけて食べるのが私の習慣だとメンバーは私に助けを求める。

ウエイターはあくまでも「ライスにバターはついてない」とタテマエを押し通す。「では、パンを注文するからバターを持ってきてくれ」と頼むと、「パンにはバターを塗って出すが、それでいいか」と言う。こいつ、俺たちに喧嘩を売っているなと思ったが、いまは仕事中、こんなバカと喧嘩している余裕はない。「牛一頭欲しいと言っているのじゃない。バターをひとかけら欲しいだけだ。なんとかしてくれ。むろん金は払う」と懇願したが、「メニューにないものは出せません」の一点張り。仕方なくメンバーに「こういう鉄道は近いうちに潰れるさ」と諦めさせた。案の定、国鉄は天文学的数字の赤字を残して崩壊した。当然だろう。